【安全な大会に向けて(6)】大会1週間前の体調管理、当日の食事など
ライダーのみなさんが安全に走行できる大会を目指すツール・ド・東北では、みなさんに大会当日に向けて準備していただきたいことをまとめた連載企画をお届けします。
連載第6弾となる最終回では、大会1週間前からの体調管理、また、前日の過ごし方、当日の食事について、ツール・ド・東北 フレンズで、元プロサイクリスト・北京五輪代表、現bravo代表の宮澤崇史さんにお話をうかがいました。
みなさんご自身の体調管理と、自転車のメンテナンスを万全にして会場へお越しください。
東北の地でみなさんとお会いできるのを楽しみにしています!
大会一週間前
普段あまり運動をしていない人と、普段から積極的にトレーニングをしている人では意識すべきことが多少異なってきますので、それぞれ別にアドバイスをしたいと思います。
いずれも、大会に向けて体の中をフレッシュな状態にしておくことは大切。腸内環境を良くするためにも、消化のよいものを多めに摂取することをこの時期から意識してください。
普段あまり運動をしていない人は……

大会1週間ぐらい前から、いつもより多めに歩くとか、エレベーターを使わないで階段を使うとか、日常生活の中で積極的に体を動かすことを心がけてください。
いつもよりも体を多めに動かすことで、体が準備をし始めます。
ただ、急にハードな運動をいきなりはじめると、筋肉のバランスが悪くなって、当日に足がつるなどのトラブルを招きます。
あくまで日常生活の延長で意識して体を動かす、軽く運動する、という程度にとどめましょう。
普段からトレーニングをしている人は……

普段から自転車に乗っている人は、ビギナーの方などよりも逆に緊張してしまうケースが多いようです。
「頑張らないと」と思うと、眠りが浅くなってしまうこともあるので、あまり意識しすぎないことも大切です。
また、普段から体を積極的に動かしている人は、食べ物のとり方で足がつることもあります。
そのためにも、大会一週間前ぐらいから電解質を多く摂取できるドリンクを積極的に飲むことをおすすめします。
大会前日
食事
大会前日はアルコール飲料を飲みすぎないようにしましょう。
また、消化の悪い肉類などは食べるのを控えましょう。
睡眠

前日は緊張して眠れない、という方もいると思います。私も現役時代、レースの前などは同じように眠れないことがしばしばありました。
そういう時は割り切って、とにかく目を閉じて横になる。そうするだけでも体は60~70%回復する、といわれています。
ただ、しっかり頭を休ませるためにも、携帯電話をいじったりするのは控えましょう。
このように前日に寝付けなかった場合のためにも、実は前々日によく寝ておくことが大切になります。
前々日にしっかり寝ておけば、 多少前日に眠れなくても、体が比較的動きやすい。
前日は寝付けなさそうだ……と心配な方は、前々日にしっかりと睡眠をとっておきましょう。
大会当日
朝食

大会当日の朝は、ご飯やパンなどの炭水化物を口にしておきましょう。炭水化物は消化に時間がかかり、エネルギーが長く持続します。
携行食・エイドステーションでの食べ方

ライド中に補給するものとしておすすめなのは、 電解質を摂取できるもの。
ただ、電解質系のドリンクやゼリーを携行するのは重く負担になるので、私のおすすめは、粉末状になった溶かして飲むタイプのものですね。
これならポケットに入れても軽いし、便利です。
ツール・ド・東北は、途中においしいフードが用意されたエイドステーションがあるので、食べ物を携行する必要はあまりないのではないかと思います。
エイドステーションでついついたくさん食べたくなる気持ちも分かりますが、あまり食べ過ぎないように、適量をいただくようにしましょう。
宮澤さんよりライダーのみなさんにメッセージ
ツール・ド・東北はスピードを競い合うイベントではなく、あくまで震災復興を目的とするイベント。
エイドステーションで地元の方と交流するなど、コミュニケーションに重きを置いて欲しいですね。
コース上でも、知らないライダーの人も仲間だという意識を持つことが大事。
スタート前はぜひ前後左右の人と握手をして、走行中も声を掛け合って、みんなで一緒に走るんだというマインドで楽しんでください。
宮澤崇史さんプロフィール

元プロサイクリスト北京オリンピック代表
bravo代表(湘南ベルマーレサイクルロードチーム監督等)
自転車選手として活躍していた22歳の時、病に倒れた母に自ら肝臓の一部を生体移植する。
そのため復帰後成績は低迷し戦力外通告を受けるものの、徐々に実績を重ね2007年にアジア選手権で優勝、2008年には北京オリンピックに出場し、2009年に念願のイタリア籍プロコンチネンタルチームに移籍。
しかし給料未払い・チーム活動停止というトラブルに巻き込まれ選手活動の環境を完全に失ってしまう。
その後日本国籍チームに所属し2010年全日本チャンピオン、アジアオリンピックでは銀メダルを獲得し、2011年に再びイタリア籍のプロコンチネンタルチームに移籍を果たす。
このような七転八倒を繰り返し選手生命も僅かに迫った34歳の時、国際自転車競技連合における最も高いカテゴリのUCIプロチーム(Team Saxo-Tinkoff)に2年間所属し世界のトップで戦ってきた。
昨年プロを引退し、2015年は日本チームの監督を兼任しながらフリーランスとしてテレビ・ラジオ・講演などで活躍中。