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ツール・ド・東北のコースを走るライダーと大漁旗をもって応援している人
ツール・ド・東北とは

「ツール・ド・東北」は株式会社河北新報社とヤフー株式会社が、東日本大震災の復興支援を目的に2013年から毎年開催しているサイクルイベントです。第4回となった「ツール・ド・東北 2016」は9月 17日、18日に実施し、全6コースに総勢3,764名のライダーが宮城県三陸沿岸の被災地である2市2町(石巻市、気仙沼市、女川町、南三陸町)を駆け抜けました。

わたしが前に進むとき

東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県の沿岸部をめぐる「ツール・ド・東北」のコース。

「ツール・ド・東北」は、震災の記憶を未来に残していくことも目的にしています。想像を超える困難の中でも、人は前を向いて進みだす……。そのきっかけや行動を起こした原動力とは何だったのでしょうか。

ツール・ド・東北のコースエリアの宮城県沿岸部の地図
宮城県気仙沼市の地図と住民からの証言を作成した小野寺さん

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2011年4月10日気仙沼市の写真
気仙沼向洋高校付近の住宅や商店は、土台を残して津波に押し流された(写真提供:河北新報社)

古里「杉ノ下」を忘れないために 地域住民から聞き取り続け、記録集出版

小野寺敬子さんの写真

 震災で消えてしまう古里を、何とか形にして残したい―。そんな思いから、気仙沼市の会社員小野寺敬子さんは杉ノ下地区住民から、被災時の聞き取りを始めました。同地区は津波で壊滅、93人が死亡、行方不明になりました。小野寺さんも父を亡くし、古里の無残な姿を見るたびに、忘れたくない、何か書き残しておきたいという気持ちが高まったのです。

 ただ、当初は気持ちの整理がつかず、聞き取りに応じてもらえないケースも多く、なかなか証言の収集が進みませんでした。それでも小野寺さんは「被災者の声を伝えることが私のライフワーク」と考え、粘り強く続けてきました。年月が過ぎていくことで次第に心を開いてくれる住民も徐々に増え始め、遺族会の協力も得て、2016年に計61人の証言を記録誌「永遠に~杉ノ下の記録~」として出版することができました。

慰霊碑の前で供養している写真

 出版して分かったことがあります。「津波が来た時、地区の誰がどこにいて、どんな行動を取ったのか。皆さんの証言を重ねたこの本から見えてきたんです」(小野寺さん)。住民からも「証言を読んで、これまで知らなかった親族の最期が知ることができた」などという感謝の声が数多く寄せられました。

 杉ノ下地区は、今後全体に防潮林の下になり、二度と住むことはできなくなります。小野寺さんは言います。「だからこそ、この地に『杉ノ下』があったことを伝えたい。これからも皆さんの証言をもっと聞いていきたい」。杉ノ下のあの日を伝えたいと願う小野寺さんの活動は、まだこれからも続きます。

小野寺敬子さん 気仙沼市出身。震災が起きるまでずっと杉ノ下地区に住む。出版した「永遠に~杉ノ下地区の記録~」は1,200円(税込み)で販売している。購入は気仙沼市長磯原ノ沢のNPO法人「生活支援プロジェクト」(外部リンク)まで。

2017年3月6日
2017年2月1日気仙沼市の写真
被災した気仙沼向洋高の校舎は震災遺構として保存が決まった。周辺地はかさ上げが進む(写真提供:河北新報社)

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宮城県南三陸町の地図と支援物資の配送に尽力した三浦さん

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2011年3月18日南三陸町の写真
公共施設や商店、住宅が立ち並んでいた町中心部が津波にのみ込まれた(写真提供:河北新報社)

被災者に自ら支援物資 みんなの喜ぶ顔が見たい

三浦保志さんの写真

 「震災で3代続いた鮮魚店の店舗を失いました。でも、困っている人たちを見ると動かずにはいられませんでした」。南三陸町の三浦保志さんは、震災の年に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、ボランティアとともに被災者に支援物資を配り続けたのです。

 「避難所には物資がたくさん積まれているのに、行政は不公平になるという理由で配れない。それなら自分がやる」と立ち上がりました。活動は広がりを見せ、三浦さんの活動に賛同したボランティアはその後、県内外から40~50人が集まります。物資は避難所だけでなく、一般家庭に避難する被災者から必要な物資を聞いて回り、インターネットで物資の提供を呼び掛けました。「本当に困っている人ほど口に出さない。そんな人を助けたい」。そんな思いで続けた支援先は町内外で計100カ所以上にも上りました。

震災当時、物資の配送を行っている三浦さんの写真

 何が三浦さんを支援に駆り立てるのか。その答えは極めてシンプルでした。「いまだにお店(経営する鮮魚店)に来るお客さんから『あの時はありがとう。助かったよ』って言われるんだ。それが一番うれしくてね」

 南三陸町は仮設商店街が移転、周辺の道路もかさ上げ工事が進み、大きくその姿を変えつつあります。どんな町になってほしいか、と問うと三浦さんは「町づくりはもっと住民の意見をたくさん聞いて進めてほしい。個人的にはもっと若い人たちが笑顔で働ける場所が多くできてほしいと思う」と答えました。自ら被災しながらも住民たちに手を差し伸べ続けた三浦さんだけに、そこに暮らす人たちの目線を決して忘れていませんでした。

三浦保志さん 南三陸町出身。震災当日は市場から帰る途中揺れに襲われた。津波で流された経営する「さかなのみうら」は同年中に移転再開したが、3年後火事により消失、同年再度移転し現在も営業を続ける。現在妻と2人暮らし。

2017年3月7日
2017年2月11日南三陸町の写真
一帯がかさ上げされ、インフラの整備が進んでいる(写真提供:河北新報社)

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宮城県女川町の地図と復興のため宿泊場所としてトレーラーハウス経営している佐々木さん

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2011年3月19日女川町の写真
コンクリート造りのビルも横倒しとなり、津波の脅威を物語る(写真提供:河北新報社)

復興の航海照らす灯台に トレーラーハウス宿泊村を経営

佐々木里子さんの写真

 淡い黄色や薄緑のパステルカラーのトレーラーハウスが震災で色を失った町を温かく包みます。多くの宿泊施設が津波で流失した宮城県女川町で、可動型のトレーラーハウスを集めた宿泊村「ホテル・エルファロ」は数少ない受け皿のひとつです。

佐々木さんは、町中心部で旅館業を営んでいた両親を津波で失いました。悲嘆に暮れる中、背中を押したのは娘たちの言葉。「お母さんが笑える場所は旅館。やるなら応援するよ」。さらに復旧工事従事者やボランティアが疲れた表情で町外に帰る姿、仮設住宅が狭く泣く泣く日帰りする帰省客を目の当たりにし「町内に宿泊施設が必要。それが復興を早めることにもつながる」と意を強くしました。町内の旅館4社と協同組合を設立し、2012年12月、トレーラー40台で最大150人収容の施設がオープン。宿泊客の反応は「想像以上に快適」と上々です。

カラフルなトレーラーハウスの外観写真

しかし道のりは多難でした。例えば、トレーラーは建物を新築できない建築制限区域だったことを逆手にとった苦肉のアイデア。資金面で頼みの綱だったグループ化補助金も条件面の折り合いがつきません。それでも粘り強く交渉を繰り返し、熱意が実りました。心残りは両親に旅館業を継ぎたいと言えなかったこと。でも今なら「いつか継ぐと思っていた」と笑ってうなずいてくれる気がします。

現在地では区画整理事業が本格的に始まるため、今夏には女川駅近くに移転の予定です。エルファロはスペイン語で「灯台」の意味。「移っても復興への航海を照らしたい」-その思いはパステルカラーに輝きながら女川の明日に届くはずです。

佐々木里子さん 女川町出身。地元の高校を卒業し、町内の企業に勤めた後、結婚して県外で生活。夫の単身赴任をきっかけに震災の8年前に3人の子どもたちと女川に戻った。震災当時も家業の旅館を手伝っていた。

2017年3月8日
2016年3月3日女川町の写真
被災建物は全て解体・撤去され、一帯がかさ上げされている(写真提供:河北新報社)

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宮城県石巻市の地図と新しい漁業に挑戦する阿部勝太さん

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2011年3月18日石巻市の写真
北上川を逆流した津波による冠水で孤立した(写真提供:河北新報社)

「かっこいい漁師になる」 +稼げる、革新的の「新3K」漁業へ

阿部勝太さんの写真

 「かっこいい、稼げる、革新的な水産業にしたい」。3K(きつい、汚い、危険)産業と揶揄されてきた漁業のイメージを変えようと立ち上がった青年たちがいます。

2014年7月、宮城県内の若手漁業者や食品加工業者ら13人が創設した一般社団法人「フィッシャーマン・ジャパン」。ワカメやカキ、ホタテなどの生産、加工、販売を共同で取り組み、震災で窮地に陥った漁業を個の力だけでなく、みんなの力で再起させると誓い合った仲間たちです。「震災以前、漁師が浜を越えて協力し合う機会はめったにありませんでした。実際にひざを交えると共通の悩みがあり、不安・不満を知ることができました」。

魚離れや価格低迷、震災の風評被害だけが漁業の今日的な課題ではありません。震災前からあった後継者問題は廃業者の増加などで深刻化しています。厳しい環境の中で漁業が存在し続けるには「次世代に自信を持って引き継げる持続可能な漁業を実現することが重要」と阿部さんは考えます。キーワードは「新3K」。高収入に加え、旧習にとらわれず先端を歩む職業への変身を模索し、漁業体験ツアーや担い手育成イベントなど一般の人たちにも漁業の魅力をアピールする企画を展開しています。

わかめ漁をする阿部勝太さんの写真

仕事が多様化する現代、「単に儲かるだけなら魅力的な仕事とは言えません。食を支える誇りや、かっこいい生き様といったプラスイメージを広め、子どもたちがあこがれるような魅力いっぱいの漁業に進化させたいですね」。被災した宮城、東北の地ゆえに生まれた新たな風を発信していきます。

阿部勝太さん 石巻市出身。ワカメ養殖を営む漁業家の3代目。地元の高校卒後、仙台や東京の会社に勤務し、2009年に帰郷して家業を継ぐ。震災では自宅や作業場が壊滅したが、11年に地元で漁業生産組合「浜人」を組織し活路を開く。

2017年3月9日
2017年2月8日石巻市の写真
北上川の流れは穏やかさを取り戻し、流域は整地が進む

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宮城県東松島市の地図と青い鯉のぼりを企画する伊藤健人さん

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2011年4月8日東松島市の写真
津波の巨大なエネルギーは漁船や貨物船を陸地に乗り上げさせた(写真提供:河北新報社)

青い鯉のぼりに託す思い 「弟の分まで」復興に覚悟新た

伊藤健人さんの写真

「こどもの日」が近づくと、1000匹を超える青い鯉のぼりが東松島市の空を一斉に泳ぎます。津波で母と当時5歳だった末弟、祖父母の家族4人を失った伊藤さんが始めた「青い鯉のぼりプロジェクト」です。

震災直後、悲しみと思い出が錯そうする中、流失した自宅跡に弟が大好きだった青い鯉のぼりを飾ったことがきっかけでした。「弟と同じように亡くなった子供たちのためにも、鎮魂と追悼の青い鯉のぼりを揚げたい」。それがネットで人気ロックバンドのボーカルの目に留まり、人々の間に瞬く間に広まりました。災後の混乱期にありながらも全国から集まった鯉のぼりは200匹以上。病気などでわが子を失った親からも共感の声が届きました。

 高校から大学へと進む中「復興に携わりたい」との思いが強まり、公務員の道を選びました。昨年4月に任期付きで東松島市職員に採用され、配属先の商工観光課で励んでいます。業務と正職員になるための勉強を両立させながらプロジェクトも続けるつもりです。

たくさんの青い鯉のぼりが空を泳ぐ写真

 「人のつながりといくつもの偶然が重なり、たくさんの人から前を向く力をもらいました。100年後、青い鯉のぼりが震災を伝える地域の祭りとして定着すれば、天国の弟たちも喜んでくれるでしょう」。伊藤さんには年齢が一回りも離れた、かわいい弟の笑顔と青空を泳ぐ鯉のぼりが重なって見えるようです。

伊藤健人さん 東松島市出身。東北福祉大(仙台市)卒。3人兄弟の長男。地震発生時は仙台でアマチュアバンドのメンバーとしてライブ出演中。亡くなった家族4人は車で避難する途中でした。現在は市内で父、弟(次男)の3人暮らし。

2017年3月10日
2016年2月11日東松島市の写真
住宅などの移転跡地は産業用地として活用され、運送業者などが進出する(写真提供:河北新報社)

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震災の跡地をめぐるライダー

東日本大震災

3月11日午後2時46分、宮城県沖約130キロを震源とした地震が発生。震度7、マグニチュード(M)9.0と日本の観測史上最大規模で、東日本大震災と名付けられました。死者・行方不明者は大津波に襲われた岩手、宮城、福島をはじめとする太平洋沿岸部を中心に約1万8000人を数えました。

震災に伴い東京電力福島第1原発では全電源が失われて原子炉が冷却できなくなりメルトダウン(炉心溶融)が起きました。

また首都圏では交通機関が不通となり、帰宅困難者が発生しました。避難者は2017年1月現在全国で約12万7000人。

2011年3月11日の河北新報の号外
2011年3月11日河北新報記事

仙台市に本社を置く河北新報社は東日本大震災で本社社屋などを被災しましたが、当日の号外、翌日付朝刊を発行し、これまで地道な検証報道を続けるとともに、「再生へ 心ひとつに」を合言葉に、復興状況をきめ細かく発信しています。また、「いのちと地域を守る」キャンペーンの一環として、全国各地で巡回ワークショップ「むすび塾」を展開、震災の風化の防止と防災、減災の教育・啓発活動等にも力を入れています。

「沿道からの声援に、逆に自分が元気をもらった」 「震災後に応援してくれた人たちを、今度は私が応援したい」ツール・ド・東北の普遍のテーマでもある「応援してたら、応援されてた。」 この想いを一人でも多くの人と分かち合うため、私たちは今年も東北を走ります。

ツール・ド・東北のコースを走るライダーツール・ド・東北のコースを走るライダー大漁旗の前で応援する人完走証を配るクルー

ツール・ド・東北
スケジュール
4月中旬~下旬 「ツール・ド・東北 2017」開催概要発表
 優先出走ライダー募集開始(予定)
 ツール・ド・東北クルー(ボランティア)募集開始(予定)
5月中旬~下旬  一般ライダー募集開始
9月16日(土)、17日(日) 「ツール・ド・東北 2017」開催
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東日本大震災から6年 未来への応援を続けよう